
前編では、私たちが木に惹かれる理由を、進化の記憶と、香りと、木目の三つからたどりました。森の生きものだった、体の奥の記憶。木が身を守るために放ち、いつのまにか人を癒している香り。そして、見るだけで心をほどく、木目のゆらぎと緑。
けれど、木の癒しは「見る」「嗅ぐ」だけでは終わりません。後編では、手で触れること、森の音を聞くこと、そして森を歩くと免疫の力まで高まるという、少し驚くような話へと進みます。そして最後は、私たち家具屋がいちばんお伝えしたかったこと――「暮らしのなかに、小さな森を置く」という話に、たどり着きます。
もう一杯、お茶のおかわりでもいかがでしょう。
四、木に触れると、体がゆるむ
まずは、手のひらの話から。木のテーブルに手を置いたとき、ひんやりとせず、どこか「ほっとする」感じがする――あの感覚にも、ちゃんと裏づけがあります。

木に触れた手が、いちばんに知っている
日本木材総合情報センターの研究で、木やガラス、金属、ビニールなど15種類の素材に触れたときの、血圧や脳波を調べたものがあります。木に触れると血圧が下がり、反対に、冷たく不快と感じられたガラスに触れると血圧が上がった。しかも、ただ手を置いているときよりも、自分から木を撫でてみたときのほうが脳の活動が活発になり、「この材料はおもしろい」という、関心や好奇心の反応まで現れたといいます。木は、触れる人の心を、受け身ではなく、すこし前のめりにさせるようです。
足の裏でも、同じことが起きます。森林総合研究所が2018年に行った実験では、19名の女子大学生に、ヒノキの板へ90秒間、足の裏をつけてもらいました。すると、左右の脳(前頭前野)の血流が下がり――これはリラックスのしるしです――副交感神経の働きが高まり、交感神経の働きは抑えられました。裸足で木の床を歩くと、なんとも言えず心地いい。あの感覚が、こうして生理のデータとして裏づけられているのです。
ところで、木はなぜ「あたたかい」と感じられるのでしょう。これは気のせいではなく、物理的な理由があります。木の内部には、細胞の名残である無数の小さな空洞があって、そこに空気が閉じ込められています。空気は熱を伝えにくいので、木は天然の断熱材のようにふるまう。だから、触れても体温を奪われにくい。金属やコンクリートに同じ温度で触れると「冷たい」と感じるのは、それらが熱をどんどん奪っていくからです。木は、その逆。とりわけスギやヒノキのような針葉樹は熱を伝えにくく、冬でも素足で歩けるほどのあたたかさがあります。
もうひとつ、肌で感じる心地よさに、「調湿」があります。無垢の木は、まわりの空気が湿っていれば水分を吸い込み、乾いていれば水分を吐き出して、部屋の湿り具合をそっと整えてくれます。無垢材の家は、そうでない家にくらべて湿度がおよそ10%低く保たれ、人がいちばん心地よく感じる60%前後へ、自然に近づいていくといいます。梅雨どきでも、木の空間に入ると空気が爽やかに感じられる――あの「なんとも言えない気持ちよさ」の正体は、じつはこれなのです。
五、森の音は、なぜ心をほどくのか
次は、耳の話です。川のせせらぎ、葉のざわめき、鳥のさえずり。こうした自然の音には、心と体をほどく力があります。

雨の音と、木のある静けさ
イギリスのブライトン・サセックス医科大学の研究では、自然の音を聞いた人と、街の騒音を聞いた人の脳を比べました。自然の音を聞いた人たちは、副交感神経の働きがはっきりと高まった。心拍のリズムが整い、呼吸が自然とゆっくりになる。なかでも鳥のさえずりは、いちばんストレスをやわらげる音だといわれます。
なぜ、自然の音は「安全だ」という感覚を呼ぶのでしょう。ここにも、進化の記憶が顔を出します。森のなかでは、天敵が近づくと、虫や鳥の声がぴたりと止みます。つまり、鳥がのびやかに鳴いているということは、「いま、ここに危険はない」という何よりのしるし。長い時間をかけて、私たちの脳は、鳥の声を「安全のサイン」として読むようになったのです。鳥の声を聞くと、なぜか肩の力が抜ける。それは、私たちのなかの、ずっと昔の見張りが、そっと警戒を解いているからなのかもしれません。
そして、ここでも「1/fゆらぎ」が出てきます。前編で、木目や年輪に流れていた、あのリズムです。川のせせらぎや、風にそよぐ葉の音にも、同じゆらぎが流れている。一定のようでいて、わずかに揺れる。だから、私たちの体のリズムと響き合い、心が落ち着く。ちなみに、バッハのような名曲にも、同じ1/fゆらぎがあることが知られています。
木そのものにも、音をやわらげる働きがあります。木材は、ガラスや金属、コンクリートにくらべて、さまざまな高さの音をよく吸い込みます。木をたくさん使った教室が「うるさくない」「音がこもらない」と評されるのは、このためです。木が音を適度に吸い、散らしてくれるので、人工的な反響が減り、より自然に近い、やわらかな静けさが生まれる。木の空間が、なんとなく落ち着いて話せるのは、目に見えないこの働きのおかげでもあるのです。
六、森を歩くと、免疫の力が上がる
ここからは、少し驚かれるかもしれない話をします。森を歩くと、病気とたたかう体の力――免疫まで、高まるというのです。

森にいるだけで、体は応えはじめる
日本医科大学の李卿(り・けい)先生たちの研究があります。都会で働く人たちに、2泊3日の森林浴をしてもらい、体の変化を調べました。すると、NK細胞という免疫細胞の活性が、1日目に26.5%、2日目には52.6%も上がった。NK細胞は、がん細胞やウイルスに感染した細胞を見つけて攻撃してくれる、体の見張り役です。
さらに驚くのは、その効果の続きかたです。森林浴のあと、NK細胞の活性は、1週間後でもまだ45%高いまま。1ヶ月後でも、23%高く保たれていたといいます。前編でお話ししたフィトンチッド――α-ピネンやリモネンが、このNK細胞に直接はたらきかけて、力を高めていることも、培養の実験で確かめられています。木が放つ香りは、ただ気持ちを落ち着かせるだけでなく、体の奥の守りまで、静かに支えていたのです。
森の力は、激しく歩かなくても届きます。千葉大学の大規模な研究では、ただ座って森を眺めるだけでも、唾液のストレスホルモンが12%あまり下がり、副交感神経の働きが大きく高まることが示されています。森は、こちらが頑張らなくても、ただそこにいるだけで、体を整えてくれる。
では、どれくらい自然に触れればいいのでしょう。これには、ひとつの目安があります。イギリスで約2万人を対象に行われた2019年の調査で、おもしろいことがわかりました。自然に触れる時間が週に120分に満たないうちは、健康や幸福感に、はっきりした差は出ない。ところが、週120分――2時間を超えると、はじめて確かな効果が現れる、というのです。しかも、その2時間は、一度にまとめてでなくてもいい。何回かに分けても、同じだけ効くといいます。週に2時間ほど、自然に身を置くこと。それが、心と体を保つ、ひとつの目安になりそうです。
少し、理屈の話もしておきます。アメリカの心理学者カプラン夫妻は、「注意回復理論」という考え方を唱えました。私たちは、仕事や都市の暮らしのなかで、何かに意識を集中しつづけ、脳を使いつづけて疲れていく。その疲れた脳を休ませ、回復させてくれるのが、自然なのだ、と。木の表情――木目や節、木漏れ日――は、こちらが努力しなくても、ふと目を引きつける。その「がんばらない注意」が、すり減った脳を、そっと休ませてくれるのだそうです。
七、暮らしのなかに、小さな森を
さて、ここまで長い道のりを歩いてきました。最後に、私たち家具屋が、いちばんお伝えしたかったことを書かせてください。木の癒しは、深い森のなかだけのものではありません。学校でも、家でも、同じことが起きています。

暮らしのなかに置く、小さな森
文部科学省の研究では、内装に木を使った学校と、そうでない学校の子どもたちを比べています。木の校舎の子どもたちは、腹痛や風邪、目の疲れ、集中のしにくさを訴える割合が、はっきりと低かった。教室を「広々と感じる」と答え、緊張や落ち込みが減り、活気が少し上がる。木の机の学校のほうが、眠気やだるさを訴える子も少なかったといいます。木のある場所は、子どもたちを、静かに落ち着かせていたのです。
北欧でも、同じことが確かめられています。フィンランドの研究では、木の製品に囲まれていると、ネガティブな気持ちや過敏さが減り、活気や爽快感が増した。そして――ここが大切なところですが――表面をコーティングした木よりも、自然のままの無垢の木のほうが、より良い結果が出た、というのです。
このことは、私たちのものづくりの、ちょうど芯に触れています。前編で、「木は塗膜で覆うと、息をしなくなる」という話を、後編にとっておくと書きました。ここで、その話に戻ります。
木の香り(フィトンチッド)は、木が「木のまま」でいるほど、豊かに放たれます。けれど、ポリウレタンのような厚い塗膜でぴったり覆ってしまうと、その揮発は止まり、調湿の働きも鈍り、手ざわりの温かさも、塗膜の冷たさに変わってしまう。せっかくの木が、五感に届かなくなるのです。
松葉屋が、家具の仕上げにポリウレタン塗装を使わず、鬼無里でとれる荏胡麻(えごま)の油を選んでいるのは、このためです。油で仕上げた木は、呼吸を続けます。香りを放ち、湿気を吸い、吐き、触れた手に体温を返してくれる。100年使える木に、10年で劣化する膜をかぶせて、その働きを止めてしまうのは、私たちにはどうしても、もったいないことに思えるのです。
森に毎日は行けません。それでも、週に2時間の自然を、暮らしのなかで積み重ねることはできます。朝、木のテーブルに肘をつく。素足で木の床を歩く。木の香りを、ひとつ深く吸い込む。それは、ささやかではあるけれど、まぎれもなく「森に触れる」時間です。一枚の木のテーブル、一脚の椅子、足もとの一枚の床。それくらいの「適量の森」を暮らしに置くことが、じつは私たちの体には、いちばん心地いいのかもしれない――前編の終わりに書いたことが、ここで、ひとつにつながります。
おわりに
最後に、もう一度、あのお客様の言葉に戻ります。「いい香りがして」「木が見えて――木って、心が安らぐものですね」。
あの一言は、長い進化の時間をかけて、私たちの体の奥にしまわれてきた記憶が、ふと声になった瞬間でした。木のそばに立つと、香りが、木目が、手ざわりが、考えるより先に、私たちを安心させる。それは、私たちがもともと、森の生きものだから。
家具は、ただの道具ではありません。暮らしのなかに置く、小さな森です。松葉屋が、一生ものの無垢材にこだわり、木に呼吸を続けてもらう仕上げを選びつづけるのは、その小さな森を、できるだけ長く、できるだけ深く、あなたのそばに残したいからにほかなりません。
長いお話に、最後までお付き合いくださって、ありがとうございました。どうぞ、木のそばで、ひと息ついてください。
― おわり ―
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