木って、心が安らぐものですね ― 五感と科学でたどる「木の癒し」(前編・森の記憶)

先日のメールマガジンに、こんな出来事を書きました。ご来店くださったお客様に「今日はどうして入ってこられたんですか」とお尋ねしたところ、「いい香りがして」「木が見えて――木って、心が安らぐものですね」と仰った、というお話です。

何気ない一言でした。けれど、その言葉がずっと頭から離れません。

木を見て、木の香りを嗅いで、人はなぜ安らぐのでしょう。考えはじめると、これがどこまでも深いのです。香りの正体、木目に隠れたリズム、森を歩くと免疫の力まで変わるという話――語りたいことが、とてもメールマガジンには収まりきりませんでした。

そこで、腰を据えて書くことにしました。少し、いえ、かなり長くなります。前編と後編に分けました。お茶でも淹れて、ゆっくりお付き合いいただけたら嬉しいです。

この前編では、「なぜ私たちは木に惹かれてしまうのか」を、進化の記憶と、香り(嗅覚)と、木目(視覚)から、順にたどってみます。

一、私たちは、ほとんどの時間を森で生きてきた

まず、大きな話から始めさせてください。

私たち人間が、田畑を耕して定住する暮らしを始めたのは、およそ1万年前のことだといわれます。けれど、人類がこの地上に現れてからの時間は、300万年を超えます。つまり、私たちが「自然の外」で暮らすようになったのは、長い歴史のほんの末端、ついこの間のことにすぎません。その時間の99.9%を、私たちは森や草原のなかで、狩りをし、木の実を集めながら生きてきました。

ということは、私たちの体や神経のしくみは、いまもなお、ほとんど「自然のなかで暮らす生きもの」のままなのです。都市の暮らしには、まだ追いついていない。これは、多くの研究者が指摘していることです。

私たちは、もともと森の生きものだった

1984年、アメリカの生物学者エドワード・O・ウィルソンは、この感覚に「バイオフィリア」という名前を与えました。bio(生命)と philia(愛)を合わせた言葉で、「生命愛」とも訳されます。人間は生まれながらに、自然や他の生きものとのつながりを求める本能を持っている――そういう考え方です。

ウィルソンは言います。私たちが進化してきた環境は、生きものに満ちた豊かな自然だった。だから人間は、自然とつながりを感じることで安心や幸福を得られるよう、いわば遺伝子のレベルでそうできているのだ、と。木の緑や木目が目に入ると、私たちの脳は「ここは生命が豊かに息づく場所だ」と無意識に感じ取り、安心の信号を出す。おもしろいのは、これが意識の上の好き嫌いとは別のところで起きる、ということです。木が好きでも嫌いでも、関係がない。脳の、もっと奥のほうの働きなのです。

もう少し時間をさかのぼってみます。京都大学の研究者が、チンパンジーとボノボを長く観察してわかったことがあります。私たちの祖先が木の上から地上へ降りて暮らしはじめたのは、じつは森の「外」ではなく、森の「なか」での出来事だったというのです。森林のなかの気温の変化や季節のめぐりが、地上で過ごす時間を増やす主なきっかけになった。人類の化石が見つかるのも、熱帯林や明るい森林といった環境ばかりです。

草原(サバンナ)に出ていくよりずっと前から、私たちはもう、木に囲まれて暮らしていた。そう考えると、あのお客様の「木って、心が安らぐものですね」という言葉は、何かを判断した感想というより、体の奥にずっと眠っていた記憶が、ふと顔を出した瞬間の言葉だったように思えてきます。

二、木の香りは、なぜ「なんとなく落ち着く」のか

ここから、感覚の話に入ります。まずは、あのお客様が最初に口にされた「いい香り」から。

木の香りには、フィトンチッドという名前があります。1930年代に、ロシアの生化学者トーキンが見つけて名づけた言葉で、「植物(フィトン)が出す、殺菌的なもの(チッド)」という意味です。木をはじめとする植物が、虫やカビ、細菌から自分の身を守るために放っている、揮発性の物質の総称です。森のなかには、このフィトンチッドが100種類以上ただよっているといわれます。主役は、α-ピネンやリモネンと呼ばれる成分。スギやヒノキ、マツといった針葉樹に、とりわけ豊かに含まれています。

葉を通して届く、雨上がりの光

では、その香りは、私たちの体のなかでどう働くのでしょう。α-ピネンやリモネンのような成分は、呼吸とともに肺に入り、血液に溶けて全身をめぐります。そして、脳を守る関所(血液脳関門)をすり抜けて、中枢神経にまで届くことがわかっています。東邦大学の研究では、ヒノキやα-ピネン、リモネンなどの香りがストレスへの反応を抑えること、なかでもリモネンは、ストレスによって引き起こされる落ち込みや、ホルモンの過剰な反応をやわらげることが示されています。

実際に、森のなかで測ると、唾液に含まれるストレスホルモン(コルチゾール)の濃度が、街なかにいるときより低くなる。血圧も下がる。スギやヒバの香りを嗅ぐと、脳の活動が静かに鎮まる。こうしたことが、いくつもの研究で確かめられています。

ここで、ひとつ不思議に思いませんか。香りというのは、どうして「なんとなく落ち着く」「なんだか懐かしい」という、理屈より先の感覚を呼ぶのでしょう。じつは、これには神経のしくみが関わっています。私たちの五つの感覚のうち、嗅覚だけが、特別な配線になっているのです。

視覚や聴覚の情報は、いったん「視床」という中継地点を通ってから、考える脳へと送られます。ところが嗅覚だけは、その中継を経ずに、感情や記憶をつかさどる大脳辺縁系へ、まっすぐつながっている。つまり、香りを嗅いだ瞬間、「いい香りだ」と頭で考えるよりも先に、もう心のほうが動いてしまう。あのお客様が「いい香りが……」と言いかけて、言葉になる前にもう安らいでいらしたのは、たぶん、このためなのだと思います。

もうひとつ、大切なことを書いておきます。このフィトンチッドは、木が「木のまま」でいるほど、豊かに、長く放たれます。スギやヒノキのような針葉樹はとくに香りが濃く、ナラやウォールナットのような広葉樹は、もっと穏やかに香ります。けれど、表面を厚い塗膜でぴったり覆ってしまうと、香りの揮発はほとんど止まってしまう。木が、息をしなくなるのです。――この話は、私たちが家具をどう仕上げるか、という話に深くつながってくるのですが、それは後編にとっておきます。

ここでは、ひとつだけ。木は、自分の身を守るために放った香りで、気づけば、そばにいる人を癒している。そのことだけ、覚えておいてください。

三、木目には、ゆらぎがある

次は、目の話です。お客様は「木が見えて」とも仰いました。

「木を見ると血圧が下がる」――これは、感覚的な言い回しではありません。千葉大学や京都大学などの共同研究が、実際に数字で確かめた事実です。スギの板を見てもらう実験では、節のない板を見たときに交感神経の活動が38%下がり(緊張がほどける方向)、節のある板を見たときには副交感神経の活動が40%上がった(くつろぐ方向)といいます。節があってもなくても、木を「見る」だけで、体がゆるむ。しかも、木が好きかどうかとは関係なく、誰の体にも起きる。意識を飛び越えた、無意識の反応なのです。

木目に流れる、1/fゆらぎ

では、なぜ木目を見ると、心がほどけるのでしょう。ここで「1/fゆらぎ」という言葉が出てきます。少し聞きなれない言葉ですが、自然界のあちこちにひそんでいる、独特のリズムのことです。規則正しすぎず、かといってまったくのでたらめでもない。「秩序のなかの、ほどよい乱れ」とでも言えばいいでしょうか。

木の年輪を思い浮かべてみてください。一見、等間隔に並んでいるようでいて、よく見ると、その年の天気しだいで、間隔が微妙にずれている。この「不規則な規則正しさ」こそが、1/fゆらぎです。そして、このゆらぎは、木目だけのものではありません。ろうそくの炎のゆらめき、川のせせらぎ、そして――私たち自身の心臓の鼓動にも、同じリズムが流れています。木目を見つめていると、なぜか心が落ち着く。それは、木のなかのゆらぎと、私たちの体のなかのゆらぎとが、静かに響き合っているからではないか。そう考えられています。

色のことも、少し。木が放つ「緑」そのものにも、はっきりとした力があります。緑は、人の目に見える光のちょうど真ん中あたりに位置する色で、目の筋肉にいちばん負担をかけません。緑を見ると、脳にはリラックスのしるしであるα波が増え、心拍や血圧が落ち着く。色の心理を扱う世界では、緑は「安全」を意味する色とされ、日本の規格(JIS)でも、そう定められています。

木材には、もうひとつうれしい性質があります。紫外線をよく吸い込むので、木に反射した光には、目を刺す紫外線がほとんど含まれていない。おまけに木の表面は、無数の細かい凹凸が光をやわらかく散らすので、まぶしさを感じにくい。木に囲まれた部屋に長くいても目が疲れにくいのは、このためです。

最後に、ひとつ意外な話を。木は、たくさん使えば使うほどいい、というわけでもないのです。住友林業の研究で、部屋の内装に占める木の割合(木材率)を変えて、人の体の反応を調べたものがあります。木がまったくない部屋(0%)は、人工的で落ち着かない。かといって、壁も天井も木で覆い尽くした部屋(90%)は、こんどは刺激が多すぎて、かえって疲れてしまう。いちばん「快適」「安らぐ」と感じられ、血圧も穏やかに下がったのは、木材率が45%――ほどよく木があり、ほどよく余白がある、その中間でした。

私はこの話が、とても好きです。木は、暮らしを覆い尽くすものではなく、暮らしのなかに「ちょうどよく」あるときに、いちばん人を安らがせる。一枚の木のテーブル、一脚の椅子、足もとの一枚の床。それくらいの「適量の森」が、じつは私たちの体には、いちばん心地いいのかもしれません。

前編のおわりに

ここまで、木に惹かれる理由を、三つの入口からたどってきました。私たちが森の生きものだったという、体の奥の記憶。木が身を守るために放ち、いつのまにか人を癒している香り。そして、見るだけで心をほどく、木目のゆらぎと緑。

けれど、木の癒しは、見ることと嗅ぐことだけでは終わりません。手で触れたときに体に起きること、森の音が神経を整えるしくみ、そして森を歩くと免疫の力まで高まるという、少し驚くような話が、まだ残っています。

後編では、そのあたり――触覚と聴覚、森林浴と免疫、そして「暮らしのなかに小さな森を置く」という、私たち家具屋がいちばん言いたかったことへと、話を進めていきます。もう少しだけ、お付き合いください。

― 後編へつづく ―

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