100年家具店主、松葉屋善五郎です。
身近な山で育った広葉樹の一枚板たち。
それは希少で、かけがえがなくて、
一枚一枚僕が宝石の原石を掘り出すように選んできたもの。
一枚一枚が僕の分身と行っても過言ではありません。
でもその中でも選定している時、
「出会ってしまった!」「見るんじゃなかった!」
と思うような 一枚が実はあったりします。
「見るんじゃなかった!」と思うのは
そういう 一枚板は
目をみはるほど美しく
目をみはるほど高価なものが多いから。
2016年9月12日、
僕はうず高く積み上げられた 一枚板の銘木や
原木たちの片隅にいました。
その場所は「銘木市」
製材したての一枚板の銘木たちは瑞々しくキラキラと光り輝き
原木はこの世のものとは思えないほど生命が溢れ
僕の目に飛び込んできます。
この時の高揚感をどう表現したらいいのでしょうか。
まるで初めての自分の子どもを
分娩室で手渡された時
戸惑いや、責任や、生命そのものに対する畏敬の気持ちや
そういうものに近いというと怒られるかな。
子どもたちがディズニーランドを飛び歩くように
僕は 「ヒャホーイ」とばかりに
キラキラと目に飛び込む銘木たちの周りをはしゃぎ跳ねまわります。
「ん?」すこし先に
意外ないぶし銀のような 一群がぼんやり視界に入ってきました。
もう一度言いますが「いぶし銀のような一群」です。
晴天にぽっかり雲が浮かんでいる。
その雲が静かに地表に影を落として
雲の動きにつれて地表のグレー色が動いていくような気配。
近づいてみます。
そしてもう一歩。ジリジリとすこしだけもう一歩。
「いぶし銀のような一群」に僕の視線は釘付けになりました。
「黄檗(キハダ)ですよ。滝澤さん」
急に声をかけられて、少しどきっとしました。
どうやら一群に魅入られて、ボーっとしていたようです。
そう声をかけたのは浦西さんでした。
一枚板の選定から、製材、乾燥、仕上げに至るまで
もっとも僕のことをわかってくれている存在で、
製作の職人でもあります。
浦「たぶん滝澤さんならこの黄檗に目がいくと思っていました」
善「何千枚もある一枚板のなかで?ウソ 」
浦「こんな黄檗無いですよ。あり得ない。絶対。」
「どうしますか?」
善「どうしますかって、安いものじゃないから….」
浦「そうですか。でも、あり得ないですよ。絶対。」
あり得ないですよ。絶対→
安いものじゃないから→
あり得ないですよ。絶対→
安いものじゃないから→
あり得ないですよ。絶対→
安いものじゃないから→
わーん、無限のループ
・・・そんなやりとりのあと 2年。
なんとか買い付けの資金をやりくりして
いぶし銀の黄檗を松葉屋に展示する時が来ました。
思ったどおり、いぶし銀の黄檗は、
キラメキを纒い僕の目の前に現れてくれました。
ホントはここだけの話、思った以上だったよ!
2年という時間
乾燥を十分にするため、一年ほどかけて再度乾燥
そして入念に削り磨き作業に費やされました。
仕上げはもちろん、自然な植物性のクリアオイルです。
「あの時、ほかの誰かの手にこの黄檗が渡らなくてよかった」
仕上げた黄檗を見るにつけ、その恋い焦がれる思いは募るばかり。
いつかはお客様の手にお渡しするものだけど(泣いてしまう)
それまでは
撫でて、手でさすって、人に見られないよう頬づりして
毎日可愛がってあげよう。
おっと、ほかの一枚板がヤキモチ焼くからね、
みんなも可愛がってあげるけどねー。
松葉屋の
樹齢200年「広葉樹一枚板のテーブル展」は
9月2日まで。 ぜひお出かけください。