三内丸山遺跡 約4200年前の栗の木

こんにちは、スタッフの池田です。

 

先日少し早い夏休みをいただき

青森へ。

念願の三内丸山遺跡へ行ってきました。

 

古墳や遺跡が好きなことはもちろん

三内丸山遺跡には
”縄文時代の栗の木が残っている”
ということを聞いてから

ずっと、いつかは行きたいと思っていたのでした。

 

栗の木は水に強くて丈夫で腐らない
という特徴はありますが
これだけ古いものが残っているところは他に例はなく

この三内丸山遺跡は湿地のように土壌に水分が多く
まるで泥で真空パックをされた状態になっていたから
残っていたということ。

他にも朽ちて無くなってしまうようなものが
たくさん出土され
縄文人の暮らしがより詳しく、歴史が変わるようなことが
三内丸山遺跡からたくさん解明されています。

 

一番大きな栗の木が出土したのは
大型掘立柱建物跡(おおがたほったてばしらたてものあと)
という6本の太く大きな柱を基礎とされた
やぐらの様な建物から。

出土された栗の柱の一部
三内丸山遺跡 栗
直径は約1m。
そんなに古い物だとは思えないくらいきれいです。

 

出土された穴

栗の柱が出土された、柱穴は3個ずつ2列に並んで全部で6個ありました。
深さ2mくらいある穴が等間隔にあけられた不思議な空間です。

 

大型掘立柱建物跡
三内丸山遺跡 栗
柱穴のそこの部分にかかっていた土圧の分析結果から
全体の大きさを推定して
柱穴と同じ4.2m間隔で穴を作って、三層の建物として復元されています。
屋根はあったのか、無かったのか、諸説あるようで
わからないことから復元はされていないそうです。

復元された建物に使われた栗の木も
ものすごく大きく太く
ロシアの栗の木を使われているということでした。

5500年〜4000年前の時代は
今よりも気温も高く
植物の生長も早かったということ。
だからこれだけの大きな建物を作れる木があったのでは。と。

栗の木は集落を囲むように植えられていたそうです。

栗の木の遺伝子を調べたところ
同じ遺伝子型だということが分かり、
この時代の人々が、自分で木を植え、食料として材木として
木を育てて使っていたことが分かったそうです。
これが分かるまでは、縄文時代では農耕はされていなかったと
思われていたそうですよ。

 

ひょっとしたら縄文時代の人よりももっと前の人が
見つけたのかもしれない栗の木を
今も私達が実を食べて木を使っていることが
少し不思議で、
美味しいものや丈夫なものは
残るし、残そうとして
きっと大事にするんだろうなと。

そうやって残ってきた栗の木を
ちゃんと使っていることを
縄文時代の人にも教えたくなりました。

 

栗の木が更に好きになった良い旅でした。

 

そうして松葉屋へ帰り
改めていろいろな栗の木を見ると
これまた親近感が沸いて
眺め、なでる日々です。

ぜひ大きな栗の一枚板に会いに来てください。

 

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