アマレ族:カシュガイ族最大の勢力、ギャッベの特徴と多様性

 

ギャッベとカシュガイ族:アマレ族を中心とした文化と歴史

こんにちは。
松葉屋家具店の滝澤善五郎です。

僕たちが「ゾランヴァリギャッベ」とお付き合いするようになって、
気づけばもう20年近くが経ちました。
このあいだに、2000人近くのお客様が、僕らが選んだ美しいギャッベを
暮らしの中に迎え入れてくれました。

けれどもふと、思うのです。
このいちまいの敷物の向こうに広がる風景、
織り子さんたちの手の動き、
カシュガイ族の人びとの暮らしや文化について、
どれほど僕らは知っていたのだろうか——と。

ギャッベを使えば使うほど、その温かみのある手触りや美しい色合い、そして時を重ねるごとに増していく風合いに魅力を感じています。お客さまからも「使い込むほどどんどん好きになってしまう」というお声をいただき、松葉屋家具店としてより深く、ギャッベについて知りたいという思いが強くなってきました。

産地であるイランの遊牧民の暮らしから、織りの技法、羊毛の特性まで、この20年間であれこれ調べたり、職人さんや専門家の方々から聞きかじったギャッベの魅力や知識を、松葉屋家具店のブログを通じて皆さまにお伝えしていきたいと思います。

カシュガイ族とギャッベ:5つの部族が織りなす豊かな世界

イラン南西部のファールス州で遊牧生活を営むカシュガイ族は、トルコ系の人々として長い歴史を歩んできました。彼らが丁寧に織り上げる手織り絨毯「ギャッベ」は、その美しさと温かみで世界中の人々に愛され続けています。

カシュガイ族は、時を重ねながら様々な部族が集まって形成された、いわば大きな家族のような存在です。現在は主に次の5つの部族が中心となって、豊かな文化を育んでいます。

カシュクリ (Kashkuli)ダルシィリ (Darrehshuri)
シシュブルキ (Sheshboluki)ファルスィマダン (Farsimadan)アマレ (Amaleh)

カシュガイ族:ギャッベを織る遊牧民の歴史と文化・前編
https://matubaya-kagu.com/blog/archives/8368

遊牧の絨毯に織り込まれた物語 —カシュガイ族の文化と暮らし・後編
https://matubaya-kagu.com/blog/archives/8401

ギャッベの織り手・ルリ族〜ギャッベの起源とされる部族、歴史、文化、クルドとの関係https://matubaya-kagu.com/blog/archives/8464

緻密な織り技術 カシュクリ族の技と美:ギャッベに宿る特異性
https://matubaya-kagu.com/blog/archives/8534

それぞれの部族には受け継がれてきた独自の文化や伝統があり、その違いはギャッベの織り方やデザイン、色合いにも自然と表れています。カシュクリ族の女性たちが織るギャッベには繊細で美しいデザインが多く見られ、アマレ族は多くの指導者を輩出してきた部族として知られています。

ギャッベは、カシュガイ族の女性たちが日々の暮らしの中で感じた自然の美しさや喜びを、自由な発想で織り込んだ世界にひとつだけの作品です。羊毛を草木で染めた優しい色合いと、動物や植物をモチーフにした心温まるデザインが特徴的で、見る人の心をほっと和ませてくれます。こうした5つの部族それぞれの個性が重なり合うことで、ギャッベの世界はより一層豊かで多彩なものとなっているのです。

アマレ族:カシュガイ族最大の勢力、ギャッベの特徴と多様性

南イランのファールス地方を中心に広がるカシュガイ族連合の中でも、アマレ族は最大規模の部族です。その歴史的背景には、遊牧民社会の中で培われた独自の役割と、ペルシアの統治者たちとの関係が深く刻まれています。アマレ族は数世紀にわたりファールスの高原と低地を行き交い、遊牧生活を維持してきました。

歴史的背景とカシュガイ族連合における位置づけ

カシュガイ族連合は18世紀頃に多様な部族集団が結集して成立したとされ、その起源には中央アジアやコーカサスからイラン高原への歴史的移住が指摘されています。サファヴィー朝期にはジャニ・アーカ(ジャニ・ハーン)と呼ばれる指導者が台頭し、アッバース1世からファールス地方の諸部族統括を任されました。彼の下でカシュガイ族連合は強力な部族同盟へと発展し、その名はこの指導者に由来するとも伝えられます。

アマレ族の名称はペルシア語で「労働者」や「作業隊」を意味し、その名の通り当初はカシュガイ族首長(イルハン)の家族に仕える戦士・労働者集団として組織されました。カシュガイ族の各部族や外部の部族から選抜された者たちが集められ、イルハン家の親衛隊・従者として構成されたのがアマレ族の起源です。この特殊な成り立ちにより、アマレ族は連合内で首長家直属の中核部族と位置付けられ、20世紀中頃までには約6,000家族もの規模に達し、連合最大の勢力となっていました。

首長制度と部族構成

カシュガイ族連合は、複数の主要部族(タイフェ)と幾つかの小部族から成り立っています。その統治構造はピラミッド型で、頂点にイルハン(盟主たる首長)が立ち、各主要部族の族長がそれに従う形を取っていました。歴史的にイルハンの地位はシャーイルー家(ジャニハーニー家)の世襲となり、彼らが連合全体の方針を決定します。

カシュガイ族連合は5大部族(アマレ、ダレシュリ、カシュクリ、シシュブロキ、ファルシマダン)と、いくつかの小部族で構成されてきました。この中でアマレ族は最大の部族であり、他の部族と比べても家族数・影響力とも群を抜いています。

イルハン家による統率のもと、各部族は連合の一員としてまとまりを維持しましたが、部族間には時に競合や確執も生じました。その典型例が20世紀初頭、第一次世界大戦期の内紛です。カシュクリ部族の族長が英国側を支持してイルハンに反旗を翻した結果、首長ソラトッダウレはカシュクリ部族を解体・弱体化させる処置をとりました。このようにイルハン家は必要に応じて部族の編成替えを断行できるほどの統制力を持っており、アマレ族は常にその直轄の勢力として重用されてきました。

遊牧生活と放牧地

カシュガイ族連合の遊牧民たちは、季節に応じて夏営地(イェイラク)と冬営地(ギシュラク)の間を長距離移動します。春と秋の年2回行われる大移動は、「コチ」とも呼ばれる伝統的な移牧形態です。夏にはシーラーズ北方のザグロス高地まで数百キロも北上して涼しい牧草地で家畜を放牧し、冬が訪れる前に南の低地へ戻って温暖な草地で越冬します。ファールス地方からペルシア湾岸近くまで、この往復距離は最大600kmにも及ぶことがあり、イランの遊牧民の中でも最長クラスの移動ルートと言われます。

移動の隊列には、家族と生活道具一式、そして羊や山羊を中心とする膨大な家畜群が伴います。牛、ラクダ、馬、ロバ、鶏、犬に至るまであらゆる動物たちが連れ立って進み、その様子はまさに「動く村落」です。近年ではトラックやバイクを利用する例もありますが、依然として伝統的にラクダやラバによるキャラバン移動が主体です。

それぞれの部族には代々受け継いできた固定の放牧地と移動経路があり、夏営地・冬営地の範囲も部族ごとにほぼ決まっています。アマレ族は冬の間ファールス南部のフィルザバード、ホンジュ、ラーレスターン周辺に逗留し、初夏から秋にかけては北上してエスファハーン州セミロームの高地にテントを張ります。部族間で放牧地が明確に分けられていることから、移動中に立ち寄る泉や草地の一つひとつに至るまで遊牧民たちは熟知しており、この知識は世代から世代へ口承で伝えられ、遊牧民の誇りともなっています。

定住政策の影響と再遊牧化の歴史

20世紀に入り、イラン中央政府の近代化政策はカシュガイ族を含む遊牧民社会に大きな転機をもたらしました。パフラヴィー朝初代のレザー・シャー(在位1925–41年)は国家統合と近代化を推し進める中で、遊牧民の武装解除と強制定住化を断行します。1920~30年代にかけて、レザー・シャーはカシュガイ族の有力指導者たちを次々と処刑・逮捕・追放し、残された民衆を半ば強制的に指定の村落に移住させました。

しかし移住先として与えられた土地は痩せた不毛の原野で、遊牧民が長年培ってきた牧畜・移牧の生活様式には適さない場所ばかりでした。突然遊牧を禁じられた人々の生活基盤は崩壊し、多くの家畜が餓死・売却され、生計を絶たれた遊牧民は困窮しました。アマレ族も例外ではなく、イルハン家直属の立場ゆえに中央政府から特に目を付けられ、多大な犠牲を強いられました。

この状況は第二次世界大戦の混乱で一変します。1941年、英ソ連合軍のイラン進駐によりレザー・シャーは退位に追い込まれました。直後に即位した若きモハンマド・レザー・シャーの初期には中央政府の統制力が弱まり、各地で遊牧民勢力が復権します。投獄・軟禁されていたカシュガイ族のイルハン家当主たちも逃亡・帰還し、ファールスの地元に戻って部族統率を再開しました。これに呼応するように、カシュガイの人々は放棄させられていた村落を離れ、一斉に伝統的な遊牧生活へと戻っていきました。この**強制定住からの「再遊牧化」**は驚くほど迅速に進み、野に降り立ったテント群と再び往来するキャラバンがファールスの大地に復活したのです。

1978~79年のイラン革命によって再び状況は動きます。パフラヴィー朝の崩壊とイスラム共和制の成立により、中央政府の統治方針が変化しました。1980年代にはカシュガイ族の遊牧も限定的ながら復活し、20世紀末までに相当数の人々が季節移動を再開する動きが続きました。とはいえ、長年の近代化政策で定住化が進んだ影響は大きく、現在ではカシュガイ族の多くが定住または半定住生活を送っています。それでもなお**「遊牧民カシュガイ」のアイデンティティは生き続けており、21世紀の今日でもファールス地方には季節ごとに移動するテント暮らしの家族が存在する**のです。

ギャッベに見るアマレ族の特徴

カシュガイ族の遊牧民女性たちは日々の暮らしの中で絨毯を織り続け、その伝統は現在まで受け継がれています。中でもアマレ族の織るギャッベには、彼らの歴史的背景を映し出すいくつかの特徴が指摘されています。アマレ族はもともとイルハン家に仕える部族であったため、首長(カーン)たちに納める調度品や絨毯の製作を担う役割も果たしていました。そのため「首長のための最高品質の品を作る部族」という評価が伝統的にあり、アマレ族の織物は品質の高さで知られてきたのです。

現在の手織り絨毯市場でも、**「アマレ・ギャッベ」という呼称は一つのブランド・品質等級として位置付けられています。これはカシュガイ族の中でも比較的細かい織り(10cm四方に35~40程度の結び目)**で仕上げられた上質なギャッベを指すことが多く、遊牧民らしい素朴なデザインセンスに加えて繊細な小柄文様やモダンな配色を巧みに取り入れた作品が多いことが特徴です。アマレ・ギャッベは毛足(パイル)こそ約1cm程度と短めですが、目が詰まった厚手の織地は重厚感があり、現代の住宅においても扱いやすく実用的だと評価されています。

さらに、アマレ族のギャッベには素材と染色へのこだわりも受け継がれています。彼らは自ら飼育する羊の上質な手紡ぎウールを用い、茜(アカネ)や藍、石榴の皮など天然の草木染料で染め上げた糸を織り込んでゆきます。その結果、生み出される絨毯は深みのある色彩と素朴ながらも力強い風合いを持ち、厚手でしっかりとした毛足は世代を超えて使えるほど耐久性に富むものとなります。これらはカシュガイの他部族のギャッベにも共通する点ではありますが、アマレ族の作品は特に**発色の美しい草原の緑や大胆な中央のメダリオン(大紋様)**などに伝統的な評価があるとも伝えられます。

デザイン面では、幾何学的な菱形(ダイヤモンド)文様や、羊・鹿・鳥・生命の樹といった遊牧民の身近な動植物モチーフが自由奔放に配される点で他のカシュガイ絨毯と共通しています。ただし一つとして同じ図柄のものはなく、各織り手の感性で色柄が大きく異なるのも手織りギャッベの魅力です。

松葉屋家具店でご覧いただいているギャッベは、アマレ族と特定していませんが
カシュガイ最大部族としての誇りと遊牧文化の伝統、そして時代の変化への適応とが織り成す多様性。日々触れているこれらの織物には、過酷な自然の中で培われた力強さと、首長家に仕えることで磨かれた洗練さが見事に同居しています。

広大な大地を巡る遊牧生活の記憶が深く染み込んだ一枚一枚の絨毯に、アマレ族の長い歴史そのものが丁寧に紡がれていると、松葉屋家具店では考えています。

その確かな織りの技術と独自の美的センス、そして何世代にもわたって受け継がれてきた文化の重みは、ギャッベを愛する私たち松葉屋家具店スタッフの心を深く捉えて離しません。お客さまにもその魅力を感じていただけるよう、一枚一枚を大切にご紹介させていただいております。

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