
善光寺周辺の神社、また戸隠の参道や山々などを歩いていると、ときどき、思わず足を止めてしまうほど大きな木に出会います。見上げると、枝と葉が空をふさぐように広がっている。その一本が、地面からどれほどの高さまで、どれほどの重さを積み上げているのか。想像すると、少し気が遠くなります。
そんなとき、僕の頭にはいつも、子どものような問いが浮かびます。この木は、いったい何からできているのだろう、と。幹があって、枝があって、無数の葉がある。何十トンにもなろうかというこの体を、木はどこから手に入れたのか。改めて考えてみると、これがなかなか、答えられない問いなのです。
ほとんどの人が「土」と答える
小学生にこの質問をすると、たいていは「土」か「水」と返ってきます。大人でも、多くの人が同じように答えます。僕自身、長いあいだ、なんとなくそう思っていました。根がぐんぐん土を吸い上げて、それが幹になり枝になっていく。木は大地から生えているのだから、体の材料も土から来ているにちがいない。いかにも、ありそうな話です。
ところが、そうではないのです。木の体をつくっている材料の大半は、足もとの土からは来ていません。答えは、私たちがふだんまるで意識しない、意外なところにあります。

四百年前、柳の木がひとつの謎を解いた
いまから四百年ほど前、ベルギーにヤン・バプティスタ・ファン・ヘルモントという科学者がいました。彼は、木が何からできているのかを確かめようと、とても根気のいる実験をします。
まず、大きな鉢に、乾かした土をちょうど90キロ入れました。そこへ、小さな柳の苗を植える。あとは、水だけを与えて、五年間、じっくりと育てました。余計なものは何も足さない。ただ水をやり続けただけです。
五年後、柳は立派に育ち、その重さは74キロも増えていました。では、その74キロ分は、どこから来たのか。もし材料が土なら、鉢の土はごっそり減っているはずです。ところが土を量り直してみると、ほとんど減っていなかった。わずか数十グラムしか失われていなかったのです。
木が増えた74キロは、土から来たのではない。ファン・ヘルモント自身は「水から来たのだ」と結論しましたが、それも半分しか当たっていませんでした。本当の答えが分かるのは、もっとあと、光合成という仕組みが発見されてからのことです。増えた重さの多くは、水にも土にも含まれていない、まったく別のものからやってきていました。
この実験の面白いところは、道具らしい道具が何も要らないことです。鉢と土と、苗と水。それだけで、四百年前の人が世界のしくみに一歩近づいた。いまでも子どもが夏休みに追体験できるくらい素朴で、それでいて、答えは大人の直感をきれいに裏切ります。
木は、空気からできている
その「別のもの」とは、空気です。もう少しくわしく言えば、空気の中にわずかに含まれている二酸化炭素です。
木の葉は、空気中から二酸化炭素を取り込みます。そして、根から吸い上げた水と、降りそそぐ太陽の光を使って、二酸化炭素から炭素だけを抜き取る。この炭素をつなぎ合わせて糖をつくり、それを材料に、細胞の壁であるセルロースを組み立て、幹や枝や根や葉をこしらえていきます。このとき、酸素が空気へ吐き出される。私たちが吸っている酸素は、こうして木々が出したものです。ただし、この酸素がいったいどこから出てきたのかは、少し意外な話になります。それは、あとで水の役割を考えるときに、もう一度触れることにします。

乾いた木の重さを化学的に分けてみると、その約半分が炭素です。残りの多くは酸素と水素で、これも二酸化炭素と水に由来します。つまり木の体は、その大部分が、空気と水と光からできている。土から得ているのは、ほんのわずかにすぎません。
しかも、空気の中の二酸化炭素は、けっして多くありません。空気のほとんどは窒素と酸素で、二酸化炭素はわずか0.04パーセントほど。一万粒のうち四粒あるかないか、という薄さです。木は、その薄い空気の中から、来る日も来る日も炭素をつまみ取っては体に変え、何十年もかけて、あの巨大な幹をこしらえていく。声もあげず、動きもせず、ただ立ったまま続けられる、気の遠くなるほど根気のいる仕事です。
物理学者のリチャード・ファインマンは、この事実をこう言い切りました。「木は、空気からできている」。木を燃やせば、その炎の熱は、かつて木が空気を体に変えるためにためこんだ、太陽の光そのものだ、とも言いました。目の前の大きな木が、実は目に見えない空気からつくられていると知ったとき、僕はしばらく、木を見上げたまま動けなくなりました。風の中にあった何かが、こうして木陰をつくり、夏の暑さから僕を守ってくれている。そう思うと、木を見る目が少し変わります。
それじゃあ、肥料って何なんだ
ここまで話すと、たいてい、こう思う人がいます。「それじゃあ、肥料っていったい何なんだ」と。木の体そのものが空気からできるのなら、畑や庭にまく肥料は、何のためにあるのか。もっともな疑問です。僕も同じことを思いました。
肥料は、木の柱や梁になる「材料」ではありません。木の重さのうち、土から得ているのは、ほんの1パーセントほど。窒素やカリウム、リンといった、ごくわずかな栄養分です。けれど、この少しがなければ、木はうまく育ちません。
たとえるなら、肥料は、家を建てる木材そのものではなく、その工事を回すための職人の道具や、体をつくる食べ物のようなものです。とりわけ窒素は、葉の中で光をつかまえる部分——葉緑体やクロロフィル——をつくるのに欠かせません。つまり肥料は、空気を体に変えるあの働きを、陰でそっと支えている。材料は空気から、それを組み立てる力は土からのほんのひとつまみ。木は、そのどちらも借りて、静かに立っているのです。
では、水は何をしているのか
肥料の次に気になるのが、水です。生きている木の重さの、およそ半分は水分です。それだけたくさん抱えているのだから、さぞ体の材料になっているのだろうと思いきや、材料としての取り分は、意外にささやかです。水からもらっているのは、乾いた重さのうち6パーセントほどの水素と、酸素の一部だけ。では残りの水は、いったい何をしているのか。
ひとつめの役割は、さきほど宿題にしておいた酸素です。光合成で空気に吐き出される酸素は、二酸化炭素からではなく、水を分解して出てきたものでした。葉は太陽の光の力で水の分子を割り、その中から水素を取り出して糖づくりに回し、残った酸素を空へ返している。1941年、ルーベンらが酸素の同位体を目印にした実験で、これを確かめました。つまり私たちが吸っている酸素は、木が水を割ってこしらえたものなのです。空気から体をつくる話の裏側で、水は静かに、この星の空気そのものをつくり替えていました。
ふたつめは、運び屋です。根から吸い上げられた水は、土の中のわずかな養分——あの1パーセントの窒素やカリウム——を溶かし込んで、幹をのぼっていきます。葉でつくられた糖を枝先から根まで配って回るのも、水の流れです。工事の材料も道具も、すべて水に載って現場へ届く。

みっつめは、体を張らせることです。細胞のひとつひとつが水で満たされているから、葉はぴんと広がり、太陽の光を受け止められる。水が足りなくなると葉がしおれるのは、光をつかまえる面積そのものが減るということでもあります。
そして四つめが、いちばん意外かもしれません。ポンプと冷却です。葉の裏の小さな穴から水が蒸発していく——蒸散といいます——その蒸発する力で、水は細い管の中を引き上げられ、何十メートルもの梢まで届きます。動く部品もポンプもないのに、木は水を空へ吸い上げている。同時に、水が蒸発するときに熱を奪うので、真夏でも葉は焼けずにすむ。木陰がひんやりと涼しいのは、影ができているからだけではありません。木が汗をかいて、あたりの空気ごと冷やしているのです。
面白いのは、その量です。根から吸い上げた水のうち、実際に木の体の材料になるのは、ほんの数パーセントにすぎません。残りの97から99パーセントは、葉から空気へ出ていってしまう。ずいぶん無駄なようですが、その大きな流れがあるからこそ、養分が上がり、体が張り、葉が冷える。水は「材料」というより、木という工事現場を動かし続けている、流れそのものなのだと思います。
こうして並べてみると、木の立ち姿が少し違って見えてきます。体をかたちづくる材料は、空気から。それを組み立てて回す流れは、水から。そして工事を成り立たせる道具として、土からほんのひとつまみ。木は、この三つを借りて、何十年も黙って立っている。そう考えると、一枚板の重みが、また少し変わって感じられます。
木は「炭素の貯金箱」になる
木が生きているあいだ、成長するたびに、空気中の炭素は木の体の中にたまっていきます。これを「炭素固定」と呼びます。木は、空気から炭素を少しずつ抜き取っては、自分の体の中に閉じ込めているのです。

草花は、一年か数年で枯れて分解され、ためこんだ炭素をまた空気に返してしまいます。けれど木はちがう。何十年、ときに何百年もかけて成長するあいだ、ずっと炭素を抱え込んだまま立っています。一本の巨木は、それだけ長い時間をかけて、膨大な量の空気を体に変えてきた、いわば「炭素の貯金箱」なのです。
数字にすると、その働きの大きさが見えてきます。林野庁の推計では、きちんと手入れされた三十六〜四十年生のスギの人工林は、一ヘクタールあたり、一年間におよそ8.8トンの二酸化炭素を吸収するとされています。炭素の量にして、約2.4トン。森は、私たちが思うよりずっと大きな仕事を、静かに続けています。
そして、ここからが、家具屋である僕にとって、いちばん大事なところです。木が伐られて、一枚板になり、家具になっても、その炭素は逃げていきません。燃やさないかぎり、木は炭素を抱えたまま、住まいの中で生き続けます。適切に使われた木の家具は、それ自体が小さな「炭素の貯金箱」であり続けるのです。百年もつ家具をつくるということは、百年ぶんの炭素を、暮らしの中にとどめておくことでもあります。
たとえば、乾いた重さが60キロほどの一枚板のテーブルなら、そのうちおよそ30キロが炭素です。二酸化炭素に換算すると、110キロ分ほどになります。一枚のテーブルが、それだけの空気を、あなたの家の中に留めている勘定です。もちろん、テーブル一枚で温暖化が止まるわけではありません。そんな大げさな話をするつもりもない。ただ、長く使えるものを選び、直しながら使い続けるという小さな判断が、たしかに一つの意味を持っている。そのことは、静かに言っておきたいのです。
年輪は、一年ぶんの空気の記録
木を輪切りにすると、中心から外へ向かって、幾重にも輪が広がっています。年輪です。春から夏にかけて勢いよく育った部分は色が淡くやわらかく、夏の終わりから秋にかけてゆっくり育った部分は色が濃く硬い。この濃淡の繰り返しが、輪となって目に見えるようになります。
つまり年輪の一本一本は、その年の空気と光の記録にほかなりません。雨の多かった年は幅が広く、日照りの年は狭い。風にあおられ続けた側は、輪が偏って詰まります。木は文句も言わず、ただ淡々と、その年の空気を体に変え、輪を一本ずつ増やしてきた。百年の木には、百年ぶんの夏と冬が、順番どおりに刻まれています。
一枚板の表面に現れる木目は、その記録を斜めに、薄く切り出したものです。等高線のようなうねりも、玉のような杢も、もとをたどれば年輪の重なりにすぎません。テーブルの表面を指でなぞるとき、僕らは何十年ぶんの空気と季節を、そうとは知らずになぞっていることになります。
その一本が、どこの山から来たのか
ここで、木の話を、松葉屋の仕事の話につなげさせてください。空気と光から何十年もかけてつくられた一本の木が、どうやって皆さんの食卓の真ん中までやってくるのか。その道のりを、少しだけ。
一枚板になるような大きな木は、そうそう出会えるものではありません。里の山でその一本と出会うところから、すべては始まります。屋敷の守り木だったもの、神社の御神木だったもの、道を広げるために伐らざるをえなくなったもの。それぞれに事情があり、それぞれに、長い時間があります。

森林組合の方が、伐採の現場で撮ってくれた一枚
伐り出された丸太は、トラックに積まれて山を下りてきます。この一本が、何十年、ものによっては百年以上、その土地の空気を吸い込んで大きくなったのだと思うと、丸太のひとつひとつが、ただの材木には見えなくなります。

同じく、森林組合の方が撮ってくれた一枚
製材所では、丸太を挽いて板にします。どこで挽くか、どの向きで挽くか。木目の出方も、板の表情も、この一瞬で決まります。挽きたての板は、まだ生きているように、しっとりと湿って、ほんのり温かい。奥から水がにじみ出してくるのが分かります。


挽いたばかりの板は、すぐには使えません。ここから、長い長い乾燥の時間が始まります。桟を挟んで積み上げ、風を通し、何年もかけてゆっくりと水分を抜いていく。急がず、焦らず。木のくせが落ち着くのを、ただ待ちます。この待つ時間こそが、狂いの少ない、長くつきあえる一枚板をつくるのです。

節も、暴れも、その木が生きてきた証
乾いた板を削り、磨いていくと、木目が現れます。等高線のようなうねり、玉のような杢、色の濃淡。同じ木は二つとありません。節があったり、幹が大きく曲がっていたり、樹皮を巻き込んだ跡があったりもします。

けれど、それは傷ではありません。節も、暴れも、入り皮も、ひとつひとつが、その木が風雪に耐えて生きてきた証です。まっすぐ素直に育った木もあれば、とんでもなく曲がって、複雑に絡み合った木もある。何ひとつ隠していない、その一枚の顔つきを、僕はいとおしく思います。切り身の魚が海を泳いでいると思っている、という笑い話がありますが、家具も同じです。どこの山の、どんなふうに生きた木なのかを知らずに使うのは、あまりに寂しい。だから松葉屋では、その木がどこから来たのかを、なるべく語れるようにしています。
仕上げに使うのは、地元・鬼無里のエゴマ油です。表面を膜でふさいでしまう塗装ではなく、油を摺り込んで、木がまだ息をしていられるようにする。手のひらを載せたときの、あの少ししっとりとした温かさは、木がいまも空気とやりとりをしている証のようにも思えます。使ううちに色は深まり、傷がついても、また油を入れてやれば戻る。百年つきあうというのは、そういうことです。

そうして一枚板は、テーブルになり、皆さんの暮らしの真ん中にやってきます。気づけば、いつも見上げていたあの山の木が、食卓のちょうど真ん中に座っている。空気と光からできた木が、こんどは家族の団らんを、何十年も見守っていくことになります。
僕らが善光寺の門前に一本、また一本と木を植えているのも、どこかでこの話とつながっています。始まりは2017年の初夏、「善光寺の界隈を、森にできないだろうか」というひとつの思いつきでした。そして翌2018年の一月、まず33本の木を植えました。都市のまんなかに小さな森ができれば、スズメやタヌキのような、かつては当たり前だった生きものたちの居場所になる。あの明治神宮の深い森も、もとはといえば人の手で植えられた木々から始まったと聞きます。一気にはできません。ひとり増え、ふたり増え、やがて百人に。森が空気を体に変え、その木がいつか家具になって、門前の暮らしに戻ってくる。山と森と、木と人の暮らしを、一本の糸でつなぎたいのです。
「日本の山で育った 広葉樹の一枚板テーブル展」のご案内
今日お話ししてきたような、空気と光から何十年もかけてつくられた木が、一枚の板になって、ずらりと並ぶ展示会を開きます。

今晩、ご自宅の机やテーブルに、そっと手を触れてみてください。その手触りは、何十年も前の陽射しと、どこかの山を吹いていた風が、かたちを変えて、そこにあるものです。土から生えたはずの木が、実は空気からできていたなんて。そう思うと、いつもの木の手ざわりが、少し不思議に感じられるはずです。


