松本市「耳塚古墳跡」の2本のケヤキ
お客様へ家具をお届けするために、あちらこちらへ車を走らせています。
僕はそんな時間がとても好きです。町中だったり、山の中だったり、ふと目にとまる風景は、畑の真ん中にポツリと立つ“ ボロっちくても美しい” 納屋や建物。昔は水路だったのかな?と思うような、曲がりくねった道だ。アスファルトの隙間から地面を自然に還そうとする緑もいい。
このケヤキに出会ったのも偶然で、納品帰りの最中でした。あまりの見事さに後ろを確認して、キッとブレーキを踏んだほどです。
この2本のケヤキは、松本市寿豊丘百瀬「耳塚古墳跡」の南側、県道新茶屋塩尻線と市道が合流する三差路に並んで立っています。それぞれ高さ18メートル、幹回り7メートル以上あるそうで、地元の人が大切に管理しているのだとか。推定800年以上とも云われるケヤキは2本とも根元付近に空洞になっていますが、実際に見ると木が放つ力強さに圧倒されます。
それにしても「耳塚」ってどういう意味なんでしょう。
案内板には、以下のようなことが書かれています。
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約1500年前の「安曇族王の墓」。かつては、塚の上部に道祖神の古いお宮である、「幸神社(さちえの神)」があったが、明治末に取り壊された。現存するお宮は、昭和8年に 建てられた「蚕玉様」で、取り壊されてしまった「幸神社」の神殿も安置され、「耳聞様」として信仰されている。
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長い年月の流れの中で「耳塚古墳跡のケヤキ」は、この場所からどんな景色を見届けてきたのでしょうか。
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▼データ
住所:長野県松本市寿
推定樹齢:800年以上
樹高:約18メートル
直径:約7メートル以上