こんにちは。100年家具店店主、松葉屋善五郎です。
連載でお送りしてきた「『一生使える学習机』十二の想い」もいよいよ、最後となりました。
松葉屋ブログの「学習机」のカテゴリーから、まとめて見ていただくこともできるので、学習机あるいは、松葉屋のものづくりに興味をもった方には、一度読んでいただけたらと思います。
〜冊子帯より抜粋〜
「どうして十二の想いを書いたのか」 学習机についての私の想いを書きました。それは自分自身の子育てをあらためて確認したい気持ちだったのかもしれません。 子どもは体いっぱいで感じ、笑い、泣き、怒ります。繊細で感受性ゆたかな子どものにこそ「本物」に触れてさせるべきではないか。今は、そう信じています。
第十二章 松葉屋の窓から見たこどもたち
松葉屋で取り扱っている商品を通して、見えてきた世界がありました。
ギャッベを窓として見えてきた、アフガニスタンの子どもたちの現状。
(松葉屋ではこれまでに、ギャッベや家具の売り上げの一部を、アフガニスタンの子どもたちの学校設立資金の一部に寄付してきました)
卓袱台や学習机を窓として思い起こすことができた、昔の子どもたちの生活。
日々店頭に立ちながら感じる、今の子どもたちのようす。
私たちの世界には、一方向の目だけではわからないこと、どこから見回してもわからないこと。知らないことは、まだまだたくさんあります。
そんな中で、子どもたちを取り巻く環境は、昔と比べて、あまりにも様変わりしてきました。少なくとも、私が子どもだった頃と比べただけでも。
最終章では書き残しておきたいのは、「子どもたちと家具のこと」。個人的すぎてしまうかもしれませんが、書き綴っておきたいと思います。
松葉屋が学校設立のために、お手伝いさせてもらっているアフガニスタンの場合。
ご存知の方もいるかと思いますが、破壊された街を見ながら暮らしている子どもたちがたくさんいます。学習する機会も、時間も、場所も、本当に限られています。
けれど、アフガニスタンの子どもたちは、その限られたチャンスに心をときめかせ、希望をもち、そして何より楽しむ才能をもって、日々を生きています。
上に載せた写真はすべて現地へ行った時に撮ったものですが、彼らの表情には、日々を生きる力強さに満ち溢れていました。
私たちがやっているのは、環境を少しでも整えることや、機会を増やすこと。
ほんの少ししかできないけれど、松葉屋では、売り上げの一部を学校設立の寄付に充ててきました。
そうすればあとは、きっと彼ら自身が、道を拓いて行ってくれるだろうと、信じているからです。
彼らが大人になったときのアフガニスタンの姿を信じたい。
楽観的すぎると云われるかもしれないけれど、そう、祈りたいのです。
話は少しズレますが、日本古来の卓袱台。私はこの卓袱台に、今の子どもたちの居場所を求めてみるのは、とてもいいのではないだろうかと思っています。
卓袱台は、いろいろな場所や時間に合わせた使い方のできる、日本特有の家具です。少ない部屋数を、いろいろな用途を使いきるために必要とされてきました。
丸いかたちが多いのは、そこに集まる人の数を限定しないから。子どもも輪になって、大人たちと並んで、その中で育っていきます。
卓袱台を囲んでいた、昔の日本の家庭では、
たくさんの人の目が、いつも子どもたちを見つめていた、ということです。
ユニセフ(イノチェンティ研究所調べ)の『先進国におけるこどもの幸せ(生活と福祉の総合的調査)』の中で、日本の子どもの持つ意識で突出していた項目があります。
…… それは「孤独感」でした。
日本の住宅は今、リビング+個室があたりまえ。好きなときにひとりになれる暮らしをしていると思います。それはそれで良いのです。「孤独に慣れる」ことは大人になるために、必要なことですから。
『人間は孤独に徹したとき、はじめて物が見えてくる、人を愛することができる』
と、白洲正子は著書「西行」の中で云っているけど、それは確かにそうだと思う。
けれど、
今の子どもたちは、個室にあっても、孤独を感じないように過ごすことができてしまう。ネットやゲームの中に自分の居場所をもっている子もいます。孤独を感じてはいるけれど、立ち向かわなくてもごまかせてしまう。
「痛さ」を回避して、現実感の無い生活をすることができるわけです。
そんな空虚感を埋めるためにとる行動が、さらに現実感を失ってしまう場合もある気がします。
物のなかった時代のほうがよかった。とは思わないけれど、便利さが確実に、私たちの考える力や想像力と引き換えにされているところがあると、私は思います。
ゆえに、今の子どもたちの立ち位置は、複雑で多様で迷いやすいのかもしれない。
でも、もしかしたら、ネットやゲームの多次元を縦横に走る知恵を、案外簡単に身につけているのかもしれません。せいぜい3~4次元で暮らしてきた私たちの想像力を超える未来を、作り出して行く力があるのかもしれない。
そのために、松葉屋にできることは何だろうか。
一人の親として、子どもたちにできることは何だろうか。
明日は、家族で幸せを共にする時間。
どんな子どもになってもらいたいですか?どんな未来を子どもと一緒に夢見たいですか?
家族で集う、あたたかな時間に、お互いの思いを打ち明けて、耳を傾けあってみることが、きっと何より大切ですね。