松葉屋家具店の店主、滝澤善五郎です。
夏が近づくと、スイカを叩いている人を見かける
スーパーの青果売り場で 指の関節をまるめてコン、コン 音で中身の熟し具合がわかる、と言う
高い音がいいのか、低い音がいいのか 正直なところ、ぼくにはよくわからない けれど人は、そうする そうせずにはいられない
松葉屋の店頭でも、同じ光景を見ることがある 一枚板のテーブルを前にして 拳でコン、コン あるいは指先でトン、トン 買うか買わないかを決める前の、無意識の所作

何を聴いているんだろう
そう思いながら、横目で眺めている 邪魔をしてはいけない気がして 声をかけずにいる
先日、木と音の関係について書かれた長い文章を読んだ
人類がはじめて「道具で音を出した」とき その道具は石ではなく、木だったらしい
考えてみれば、石と石を打ち合わせても カチン、と硬い音がして、すぐ消える 空気を一瞬だけ裂いて、終わる
ところが木には、石にはない構造がある
木はもともと植物だから 根から水を吸い上げるための細い管——導管——が 幹の中に無数に通っている 乾燥した木材の内部には その管が空になった、目に見えないほど小さな空洞が いくつもいくつも並んでいる
だから木を叩くと その小さな空洞のひとつひとつが 耳障りな高い音を吸いとって かわりに、やわらかくて温かみのある音だけを残す
木の音に「ぬくもり」を感じるのは 気のせいではなくて 木の内部の構造が、物理的にそうさせている
だが、もっと大きな発見があった
中が腐ったり、シロアリに食われたりして 内部がすっかり空っぽになった倒木を だれかが叩いた
すると 無垢の幹を叩いたときとは、まるでちがう音がした
低く、太く、腹の底に届くような音 しかもそれが、驚くほど遠くまで響いていく
なぜか
叩かれた木の壁が震えるだけではなく 内側に閉じ込められた空気のかたまりが いっしょに震えるからだ
空気は目に見えないけれど、たしかにそこにある 打たれた衝撃を受けとめ、抱えこみ ゆっくりと外へ放していく
だから音が、低く、長く、遠くまで届く
「空洞」が鳴る
この発見が、すべての始まりだった
人類はこの仕組みに気がついて 今度は自分の手で、丸太をくり抜きはじめた 火で焼いたり、石の斧で削ったりして 内部に空洞をつくり、表面に細い割れ目を入れた
「スリットドラム」と呼ばれる楽器の誕生だ 日本語では「木鼓(もっこ)」
割れ目の両側の厚みを変えると 高い音と低い音、二種類の音が出せる
アフリカの中央部、コンゴ川の流域では この木鼓が、驚くべき使い方をされていた
中央アフリカの言葉は「声調言語」といって 同じ音でも、高く言うか低く言うかで意味がちがう 木鼓の高い音と低い音を使い分けることで 人間の言葉のイントネーションを再現して メッセージを送ることができた
出産の知らせ、結婚式の招待、戦争の警告 ときにはゴシップまで
その音は8キロから11キロ先まで届き 村から村へ中継すれば 160キロ以上の距離を2時間で伝達できたという
19世紀にヨーロッパが電信線を引くはるか前から 木の空洞が、通信インフラだった
けれど、ここからがさらに面白い
当時の人々にとって 大地に深く根を張り、天に向かって枝を伸ばす巨木は 地下の世界と、地上の世界と、天上の世界を 縦に貫いてつなぐ存在だった
その神聖な木の「内側」から 人間の力だけでは出せないような重低音が響くとき それは人が叩いて出した音ではなく 木の中に棲む精霊が目を覚まして 大気を震わせている——そう感じた
「空洞が鳴る」は 「神が語りはじめた」だった
そしてある時、決定的なことが起きる
空洞の丸太の開口部に 狩りで得た動物の皮を、ぴんと張ったのだ
大地に根ざした植物の力と 血を流した動物の生命力
その二つが一体になったとき 私たちが「太鼓」と呼ぶものが生まれた
太鼓の轟音は 自然界でもっとも畏れられた音——雷鳴——に似ている 人々は太鼓を打ち鳴らして雷神を呼び 雨を乞い、大地の豊穣を祈った
シベリアや北米のシャーマンが使う片面太鼓の木枠は 「宇宙樹の枝から切り出されたもの」とされ 張られた皮はシャーマンの分身となる動物の霊だという
叩き続けると、一定のリズムが 人間の脳波をゆっくりとした波に導き 日常の意識から離れた状態——トランスに入る
太鼓は楽器である前に 魂を別の世界へ運ぶための乗り物だった
話を少し、手触りのある方へ戻す
ヴァイオリンの話をしたい
ヴァイオリンの表板は、スプルースという針葉樹で作られる 裏板はメープル(カエデ) 弦を弾いた振動が、駒を通じて表板に伝わり 内部の空気を震わせて、音が生まれる
弦の振動だけでは、ほとんど聞こえない 音を聴かせているのは弦ではなく 木の胴体だ
ストラディヴァリウスが使った木材は イタリア北部、トレンティーノ地方の高い山で育ったスプルース
近年の科学分析でわかったことがある
17世紀から18世紀にかけて 「マウンダー極小期」と呼ばれる時代があった 太陽の活動が低下して、ヨーロッパの冬が異常に厳しくなった時代
厳しい冬のなかで育った木は 年輪の幅がとても狭くなる ゆっくり、ゆっくりしか育てない そのぶん、年輪が密に詰まって 木材の密度が高く、均質になる
ストラディヴァリウスの「黄金期」と呼ばれる 最高傑作群の表板は この厳冬期に育ったスプルースでできていた
さらにストラディヴァリは 木材にアルカリ処理や塩漬けのような 独自の化学処理を施していたことも 近年の分析で明らかになっている
300年前の、異常に寒かった冬 その冬を耐えた木の年輪が いま、コンサートホールで鳴っている
木の時間というのは 人間の時間とは、まるでスケールがちがう
日本の和太鼓にも、似た話がある
和太鼓の胴は、欅(ケヤキ)が最も重んじられる 硬くて重い広葉樹で 打面の衝撃を胴全体に伝えて 深く、余韻のある音を生む
大きな太鼓をつくるには 一本の欅の丸太をくり抜く 「くり抜き胴」という製法を使う
問題は、乾燥だ
大型の太鼓に使う欅は 乾燥に数十年かかることがある
伐った丸太を、何年も何年も寝かせて 細胞のなかの水分をゆっくりと抜いていく 急いで乾燥させると、ひび割れる 木がみずから水を手放すのを、待つしかない
松葉屋でも、北信州の山で伐った広葉樹を 数年かけて天然乾燥させている
太鼓と家具では つくるものはちがうけれど 木の内側の水と向き合っているという意味では 同じ仕事をしている
もうひとつ、書いておきたいことがある
楽器になった木材は、死んでいない
周囲の湿度を吸ったり吐いたりして 呼吸をつづけている
演奏家が何年も弾きつづけると 弦の振動が繰り返し木に伝わり 細胞のなかの樹脂が少しずつ結晶化して 振動の伝わり方が変わっていく
つまり、弾けば弾くほど 音が変わる 育っていく
ストラディヴァリウスが300年経っても 現役の楽器として演奏されつづけているのは 木がいまだに変化しつづけているからだ
使うほどに育つ
これは、松葉屋がずっと言いつづけていることと まったく同じだった
無垢の一枚板のテーブルは 使ううちに表面の色が深くなり 手が触れたところに艶が出て 傷も染みも、時間の模様として馴染んでいく
家具も楽器も 木が「生きている」から、そうなる
お客さんが天板をトン、トンと叩くとき 何を聴いているのか、ぼくにはやっぱりわからない
けれど、ひょっとすると 何万年か前に中空の倒木を叩いた人類と 同じことをしているのかもしれない
木の内側に何があるのか 空洞があるのか、詰まっているのか 生きているのか、死んでいるのか
指先で、確かめている

